12/1 Venus in fur 3回目
もう、マジかよってことがあって一日何しようかなって思ったけど、自分のために可愛い服きて、自分のために美味しいステーキたべて(1年1ヶ月1週間と1日ぶりという奇跡笑)、じゃあ何を観ようかなって思って観てきました、Venus in fur 3回目。
なぜこんなにハマったかというと、多分この2人の関係性にちょっと類似性を見出してるからだと思う。
日常と非日常、支配と被支配、演出家と女優、男と女、現実と虚構
これらが一瞬でスイッチされていく、それも何回もね。
好きなやり取りがあって、劇中劇でトーマスがヴォンダに、
"僕はあなたの奴隷です、あなたの好きにしてほしい、叩いてもいい、お願い叩いてくれ"
と懇願します。
間髪入れずヴォンダが、
"違う、わたしがあなたの奴隷なの、あなたを満足させるためにわたしが支配されてる"
と返します。
この感じ、すごくたまらんです。
というか、なんかわかる気がするのです。
シンプルでありたいのに、どんどん複雑化していって、2人の中で立ち位置がコロコロかわりどんどん思いと欲望がこんがらがっていくのは、当事者としてはキツイけど、演劇的にはとても面白い。
やっぱねー、葛藤がないとつまらないのです。
今回のトーマスはもう倒錯が結構激しくて、それがよかったです。
全身が研ぎ澄まされていって、最後は小さな刺激にも過剰反応してて、素晴らしかったです。
ヴォンダも今回が圧倒的に良かった。ヴィーナスとして圧倒的な存在。
演劇関係のときの元同僚たちと飲んだときにある人が、演劇が好きな人間はどこか欠落してて、悩んでるから、演劇を観るんだよ、と言ってました。
そのあとその人は、わたしは最近結婚して満たされてる部分が増えたから前ほど演劇にドキドキしないとも言ってました。
全部賛成ではないけど、1つの本質だなって思います。
今回個人的にこの作品に引っかかったのは、関係がスイッチしていくところ、ある特定の人に対して、自分が影響を与えること、与えられること、そういうことが今の自分のテーマとしてあるからだと思います。
すごくパーソナルな空間で、当事者以外誰もいないところでの人間関係のスイッチング。
隠してたり気づいてない別の自分を、誰かから半分強引に、もう半分は自らさらけ出すっていうのは痛みと時に現実的犠牲を伴うけど、すっごく解放されることでもあるのね。というのを体感できる作品でした。
本当にね、あとトーマスみたいな人本能的に好きと思うわたしは多分、あかんね笑!
ねぇわたし男女関係で幸せになるのはなかなかハードかも笑!
でも、強烈な存在がいるっていうのもなかなか得難いものなのかもね。
そんなこと作品みてて思いました。
舞台ってたのしい!